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2014年4月12日土曜日

自身を投げ出して、自身の深い絶望の底で“役”の人物とむかいあう


所属俳優に聞くかぎりで、広渡演出は近年ほとんど個々の俳優の具体的な演技指導をしないという。しかも彼は、芝居は俳優だよ、と言い捨てている。では、彼は俳優に何を求めているか。彼の言説は、ほぼ一貫して、観客へ向けてでなく俳優への呼びかけ問いかけである。主調底音を一つあげれば、「俳優はデテイルでは、演技という表現よりも、俳優自身に対する行為をする。俳優はそこで自身の内部へ落下していく。自身を投げ出して、自身の深い絶望の底で“役”の人物とむかいあう。もしかしたら、現実世界から剥離、脱落した、未知の自分、もう一人の自分とめぐりあえるかもしれない」と。
彼は繰り返し、身を投げ出すこと、落下することを強調する。それはポーランドの演出家グロトフスキーの求道的な身体訓練と共振するものだが、このカリスマ的な表現に俳優がついていけなくて絶望することを、ぼくは恐れない。
「堕ちるところまで堕ちよ」と坂口安吾もいっている。戦後演劇界の離合集散をみてきたものとして、演出家の思想と俳優の現実との乖離、その亀裂にリアリストでないもう一入のロマンティカー広渡常敏が絶望する日を怖れている。ロマン派文学は、その乖離そのものをほんとうに定着すれば文学たりうるが、観客という移り気な参加者の不可欠な演劇はそうではないからだ。だから、さしあたりぼくは、彼が亀裂をあるがままに押し切る強靱なイロニーの人であることをあえて欲する。
(1990年劇団パンフレット「イロニーの詩人/広渡常敏論の試み/岩波剛」より

2014年4月11日金曜日

花見客のいない上野の山の 満開の桜の下は冷気と静寂に支配されていた

終戦の年、東京は桜の季節に空襲に遭った。そのさまを作家坂口安吾(さかぐちあんご) が見ていた。
3月10日の大空襲の後、上野の山では焼け残った桜が花を咲かせた。だが花見客は一人もいない。風ばかりが吹き抜ける満開の桜の下は、冷気と静寂に支配されていた。安吾は、虚無の空間に魂が消え入っていくような不安感に襲われる。
終戦から2年後、安吾は、このときの恐ろしげな実感を、グロテスクで美しい傑作「桜の森の満開の下」に結実させた。桜の美の奥に潜むまがまがしさを描き出し、いまも多くの読者を魅了する。
(朝日新聞2006.4.7「ニッポン人・脈・記 満開の下たたえる妖気」より)

2014年4月8日火曜日

「氷を抱きしめたような」気分……ことばの内側へと、奥へと、視線が、思考が伸びていく

「わたしの重さがわかるのお前?」
鬼と化した女を殺し、男は呆然と座り込む。
「お前は淋しいってことがどういうことだか、わからないんだね? 淋しいということばを知らないんだね?」と女の声。
女は桜に埋もれていく。
「山賊のことばでなければいえないこともあるぜ!」と男は花びらを掻きわける。
男が山刀を抜いて空を切ると女の悲鳴。


山賊のことばでなければいえないことって、なんだろう?
この問いについてぼくらの思考をすすめることが、『桜の森の満開の下』の作品世界を考えることなのだ。坂口安吾は『文学のふるさと』のなかで「氷を抱きしめたような」気分と書きつけている。「絶望」や「孤独」ではぼくらの思考がそこで完結してしまいそうだが、「氷を抱きしめたような」気分となると、そのことばの内側へと、奥へと、ぼくらの視線が、思考が伸びていく。“山賊のことば” とはことばの奥へと分け入っていったところに浮上することばといえないだろうか? 文学というものは、普段ぼくらが日常生活のなかで口にしていることば、つまり社会に属していることばと骨身を削るような格闘を通して、創り出されることばの世界だと柄谷行人さんはいうのだが、坂口安吾は社会一般のモラルから限りなく“堕落” しようとするところに、文学を創りだそうとする。(『堕落論』一九四七年) 安吾によれば山賊のことばは、限りなく堕落をとげた地点に創りだされる文学のことばなのである。1999年、広渡常敏、「ナイーヴな世界へ ― ブレヒトの芝居小屋 稽古場の手帳」より。)

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 『櫻の森の満開の下』広島公演(東京演劇アンサンブル)

 坂口安吾=作  広渡常敏=脚本・演出  池辺晋一郎=音楽

 日時 2014年4月12日(土)19時開演
           13日(日)14時開演
 会場 広島県民文化センター (中区大手町一丁目)

 料金 2,999円   中高生以下1,000円(自由席)
     *未就学児は入場できません。

2014年4月4日金曜日

自分たちが風のごとくに自由で、さくらの花のように完壁であるがために、社会の定めや自らの弱点と闘う

「キシノウ・ジャーナル紙」より
イリナ・ネヒト(Irina Nechit)


広渡常敏演出、東京演劇アンサンブルによる「桜の森の満開の下」の舞台が、キシノウに結晶化した形でやって来た。この舞台は、生き生きとした新鮮さを保持しつつ、叙事詩的な日本の美学を魔法に近い領域にまで高め、そこに観客を引き込むことに成功した。

作品に出て来る男(公家義徳)と女(原口久美子)は、情熱や優しさ、哀れみを遥かに超えた絶対的な自由についての物語りを私たちに提示するのである。二人は、自分たちが風のごとくに自由で、さくらの花のように完壁であるがために、社会の定めや自らの弱点と闘うのである。

「日本文化の日々」は、山のさわやかな空気と人間の性につての真実、それはしばしば残酷であり、血に飢えており、天使に転身しうる可能性を秘めた悪魔を持っていることを語る勇気をキシノウに齎(もたら)してくれた。ウジェーヌ・イオネスコ劇場で土日に「桜の森の満開の下」の舞台を観た人々は、舞台の幻覚のようなイメージと、とくに神話に命を再び吹き込み、一過性のこの世の中の危険と予測不可能な現実を生きることへの恐怖を乗り越える力を与えてくれる役者の力を、長い時間忘れることはないであろう。(2013年6月)


“日本フェスティバル”
FESTIVALUL INTERNATIONAL AL ARTELOR SCENICE, BITEI-2013

2014年3月26日水曜日

冒頭から舞い散る桜の花びらは、ある時は嵐のように吹き荒れあらゆる存在を飲み込むように…… 感想2

2013年8月ブレヒトの芝居小屋公演感想

■坂口安吾作ということで期待していました。 壇一雄が脚色を依頼したということを知って、ますます興味を持ちました。予想以上にすばらしい舞台でした。歌舞伎を思わせる華麗さがあり、迫力がありました。オリエンタルであり、神秘的であり内容的には愛と憎は紙一重というようなことを考えてしまいました。見ることができてよかったです。公家さんはかっこよかった。理屈なく感動しました。(男性・54歳) 

■大人のドラマでした。昔の黒沢映画をみているような…。どこまでいくのか判らない面白さがありました。(男性) 

■演出がかっこ良かった。役者さんが後ろを向いていても、感情がみえるところがすごいです。 (女性・16歳)

 ■東京演劇アンサンブルの舞台を観るのも、ブレヒトの芝居小屋という劇場を訪れるのも初めてだったのですが、1時間あまりのそのスぺクタクルのダイナミックさと繊細さ、美しさと残酷さに目と心を惹きつけられた素晴らしい作品でした。特に、物語の冒頭から舞い散る桜の花びらは、ある時は嵐のように吹き荒れあらゆる存在を飲み込むように恐ろしく、最後はその静寂さから現生の夢と幻想を感じさせられ、男女の愛と孤独を描いている物語そのものを象徴しでいるようだった。(男性・30代)
a letter from the Ensemble No.107. 13.10.05より)
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 『櫻の森の満開の下』広島公演(東京演劇アンサンブル)

 坂口安吾=作  広渡常敏=脚本・演出  池辺晋一郎=音楽


 日時 2014年4月12日(土)19時開演
           13日(日)14時開演
 会場 広島県民文化センター (中区大手町一丁目)

 料金 2,999円   中高生以下1,000円(自由席)
     *未就学児は入場できません。

2014年3月25日火曜日

淋しいという意味を考えさせられました 感想1

写真はNew York公演
2013年8月ブレヒトの芝居小屋公演感想

■前回観たときよりはるかに洗練されて、しかも野生的肉感的になっていて、心に迫ってくる力をもっている舞台でした。期待はしていましたがこれほど面白くなっているとは…遠くからきたかいがありました。(男性・56歳)

■迫力のある演技に吸い込まれるようでした! 淋しいという意味を考えさせられました。(女性・48歳)

■はじまりからド肝を抜かれました。美しすぎるものにどこか恐怖を感じるのは何となく共感できます。(女性・44歳)

■本日はありがとうございました。
ただ一言、すごい!! につきます。
すばらしい時間をすごさせていただきました。
(女性)

■今回予想外の激しい動きにおどろきました。
(男性・39歳)
a letter from the Ensemble No.107. 13.10.05より)

2014年3月20日木曜日

「女性とは何か?」、「肉体と精神」、「人間の悲しみと孤独」について私たちに語りかけてくる

フェスティバルHPより画像の部分
男 公家義徳
ルーマニアの『シビウ国際演劇フェスティバル2013』で発行されている“aplauze”マガジン1記事の日本語訳が東京演劇アンサンブルから提供があったので紹介します。

BEING LOST IN A FLURRY OF CHERRY BLOSSOMS
桜の森の満開の下で

阪本由貴

フェスティバル初日、誰もがこの特別な日に何が起こるのか興奮して待ちかまえていた。東京演劇アンサンブルは、この20周年記念を飾る最初の舞台として驚くべきオープニングをもたらしてくれた。
かれらのパフォーマンス『桜の森の満開の下』は、高校の体育館で行われた。

会場は壁もすべて黒幕で覆われ、多くの場所に照明が吊られ、片側には客席が、もう一方には美しいダークブラウンの木の舞台がプラットホーム(B舞台)とともに設置された。ここが学校の体育館とは想像もできない。ステージの真ん中から両側に引幕が開かれると、満開の桜の美しい全屏風が現れた。それはいきなり私たちを日本の風景へ連れて行った。

物語は大きな衝撃とともに始まる。一組の男女が、金屏風を破って出てくる。空から降りしきる幾千もの桜の花びらとともに。その男は桜の森にすむ山賊で、彼は神秘的で美しいけれど残酷な女をその夫から略奪した。山賊は女の美しさを崇め、その女は男に人びとを殺して生首を持ってこさせる。彼が女のもとを離れようと心に決めたとき、女は夜叉に変わる。夜叉の息の根を止めたとき、彼はそれがあの美しい女の死体だということに気づいた。桜の花びらは更に激しく降り、死体は消え、男はとり残される。そして桜の森に女の悲鳴が響く。

わたしはこのパフオーマンスを外国の人びとがどのように感じるのかにとても興味をもった。アレクサンドル(シビウで演劇の勉強をする20才の学生)は、「とても興味深い物語だった。役者と振付がよかった。日本語の上演にもかかわらずストーリーがわかった。ストーリーが観客の心に残るということは、演劇において最も大切なことだと思います。」フライデリケ(タイタニック劇場の28才の女優)「わたしにとって、これが初めてのアジアのパフオーマンスだった。美術はとても美しかったし、効果や演技は素晴らしかった。すべてが完璧なタイミングだった。扇風機を抱えた裏方の人たちさえ、この舞台にたいへん効果的だった。」チョン(ちょうど演出の勉強を終えたばかりの27才)は「わたしは、彼らのバイオレンスの表現方法が好きです。音楽は演技や踊りにぴったりで、話し方さえこの舞台に大きな効果を生み出していた。私は歌舞伎風の白塗りのダンスが気に入りました。パフオーマンスは魅惑的で、始まりから終わりまですごいインパクトで、どの瞬間も集中して観ることができました。」

満開の桜の下では恐ろしいことが起きるという伝説に基づいたこの物語は、「女性とは何か?」、「肉体と精神」、「人間の悲しみと孤独」について私たちに語りかけてくる。上の方から降ってくる何千何万という桜の花びらは、空中で渦巻き、舞台に積もる。色によるバイオレンスの表現の美しさ、日本の歌舞伎の白塗と美しいコンテンポラリーダンスの調和、そして役者たちの素晴らしい情熱が、わたしたちをシビウから違う世界へ、神秘的な桜の森の満開の下へ誘った。(2003/06/09) 
「SIBIU INTERNATIONAL THEATRE FESTIVAL 2013」「aplauze」より

2014年3月18日火曜日

男につくすような女は嫌いだっていったよ

女 以前ならこういったよ、お前のつんつんしたところも好きだって。
男 うん、そりゃ……あの時はそういった。
女 いまは?
男 だからいまは、もっと好きだ。
女 ナベカマを並べて男につくすような女は嫌いだっていったよ。
男 ところがこっちの方がナベカマ並べて、お前に首ったけさ。
  ハタキを持って家の中を掃除している女の姿を見るくらいなら、いっそロクロ首の女を見る方がいいといったわ。
男 ああ。たしかにそういった。
女 でも今日からは、わたしもハタキをかけるわ、おナベやおカマも並べるわ。だからもっと抱いて! さあ行きましょう、わたしたちの家へ!
男 (呻く)おう!
     男は女を背中にのせる。
   ごうごうと音をたてて降りしきる花びら。
男 ううう……急に重くなったな。

女 わたしの重さがわかるのお前?

2014年3月12日水曜日

中国地域の公演日程 『櫻の森の満開の下』

4月8日(火)18:45 
倉敷市芸文館 
一般3,000円、大学生以下1,000円
(当日各+500円)
チケット問い合わせ
倉敷演劇鑑賞会Tel.086-424-6730

4月10日(木)19:00 
岡山市立市民文化ホール 
一般3,000円、大学生2,000円、高校生以下1,000円
(当日各+500円)
チケット問い合わせ
岡山市民劇場Tel.086-224-7121

4月12日(土)19:00 ・ 4月13日(日)14:00 
広島県民文化センター 
一般2,999円、高校生以下1,000円
チケット問い合わせ
広島市民劇場Tel.082-247-5433

*いずれも未就学児入場不可

ニューヨーク、ソール公演時の劇評 『櫻の森の満開の下』

Lost in Flurry of Cherries [Critique]
櫻の森の満開の下「劇評」

■New York
  The performances have a ritualistic physical intensity that suggests a fusion of martial arts and Japanese dance traditions, and a meditation on beauty and cruelty and the indifference of nature dramatized as a quasi-erotic fable. Kisetsu Mano, as the woman whose mane of purple hair clashes with her layers of finery, projects a fierce demonic edge.
 (Stephen Holdern, The New York Times 25 March, 1990)

  Director Hirowatari, who has been working against two modern Japanese theatrical styles: socialist realism and stanislavskian naturalism, pulls out the stops on ancient Japanese aesthetism. At every step, he contradicts the gruesomeness of the tale with the exaggerated elegance of his staging.
(Alisa Solomon, The Village Voice 27 March, 1990)

■Seoul
 The cherry blossoms which kept falling like snow, having overthrown the concept of the staging effect, led the whole audience to the space of mysterious experience.
(Kim Pan-oku, The East Asia News 17 October, 1991)

■ニュ-ヨ-ク公演 1990年3月11日~31日
祭儀的な身体の強烈さに日本の舞踊と武芸を混合させ、エロティックな寓話の形をとって、自然の美と残酷さと冷淡さへの瞑想を描いでいる謎めいたドラマ。真野季節は幾重にも重ねた美しい衣装と、紫の髪をたなびかせ、激しく残酷な鬼に変化する女を見事に演じた。
ステファン ホールデン「ニユーヨークタイムズ」1990年3月25日

社会主義リアリズムとスタニスラフスキー的自然主義という日本現代演劇の伝統に反逆しできた演出家広渡は、日本古来の審美主義に終止符を打っている。どの時点でもこの寓話の不気味さを舞台の誇張した優雅さで対比させる。
アリサ・ソレモン「ザ・ビレッジ ヴォイス」1990年3月27日

■ソウル公演 1991年10月4日~9日
終始一貫、雪のように降リ続ける桜の花びらは、舞台効果の概念を破り、劇場全体を不思議な体験の空間にみちびいていった。
キムパンオク 金芳玉「東亜日報」1991年10月17日


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 『櫻の森の満開の下』広島公演(東京演劇アンサンブル)

 坂口安吾=作  広渡常敏=脚本・演出  池辺晋一郎=音楽

 日時 2014年4月12日(土)19時開演
           13日(日)14時開演
 会場 広島県民文化センター (中区大手町一丁目)
 料金 2,999円(自由席)

2014年2月26日水曜日

お前はわたしの亭主を殺したくせに、自分の女房が殺せないのかえ?

女 (七人のうちの一人を指して)あの女を斬り殺しておくれ。
男 だってお前、殺さなくても女中だと思えばいいじゃないか。
女 お前はわたしの亭主を殺したくせに、自分の女房が殺せないのかえ? それでもお前はわたしを女房にするつもりなのかえ
男 (坤く)よし!
        男は跳びあがり、ダンビラを抜いて女を斬り殺す。
女 つぎは、この女よ!

2014年1月29日水曜日

役者の演技っていうのが戦争を拒否する

ルーマニア「シビウ国際演劇フェスティバル」『aplauze』誌掲載写真
戦争を拒否する技術ってないのか。平和利用というイヤな言葉がある。戦争の時開発された技術が平和的に利用される。
そうじゃなくて、戦争に役立たなくて平和を守り、人間の生活を豊かに刺激していく技術よね。
役者の演技っていうのが戦争を拒否する、そういう俳優技術ってないだろうかと思う訳ですよ。
非人間的な殺戮といいますかね。そういうことができない俳優術というものがないのかとー。
そういう仮説をかかげてあくせくやっていくというのがいいんじゃないかと思っている。
(2000年9月28日「ケンタウルスの会広島主催『おんにょろ盛衰記』公演」を前に行われた広渡さんの講演より)

2014年1月5日日曜日

おそろしいのは、人間の心のなかにひそんでいる魔性

女=真野季節
東京演劇アンサンブル公演
『櫻の森の満開の下』
劇は、終局ですさまじい桜吹雪をみせる。自然と人間との闘いである。この場合の自然はまた、人間の能力をはるかにこえた力、つまり超自然と人間との闘いにもつながっていく。山賊の男の相手になる美女は、その恐しい内面を、「鬼」として表現する。中世には鬼は、世にもおそろしいものとして実在したと考えられている。ほんとうは、実在しなかったかも知れない。が、おそろしいのは、人間の心のなかにひそんでいる魔性であり、その魔性をたくさんもっているものを鬼と指すと、ここに鬼が存在したというイメージが成立する。

日本の演劇様式は、古典として能・狂言・歌舞伎をもっている。その一方で、ヨーロッパ近代劇に影響された新劇がある。東京演劇アンサンブルは新劇の劇団の一つである。が、B・ブレヒトの作品の影響をつよくうけている。この延長でつくられた創作劇が、この『桜の森の満開の下』だといえる。
(「1990年公演パンフレット「イメージ豊かに人間の魔性を問う問題作」藤田洋・演劇評論家」より)
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 『櫻の森の満開の下』広島公演(東京演劇アンサンブル)
 日時 2014年4月12日(土)19時開演
           13日(日)14時開演
 会場 広島県民文化センター (中区大手町一丁目)
 料金 2,999円(自由席)

2013年12月23日月曜日

満開の桜の花の下に、人間がいなければ

生首2=町田聡子 生首3=漆戸英司
東京演劇アンサンブル公演『櫻の森の満開の下』
パッと咲いて、パッと散る、開花の寿命は短いが、短いがゆえに潔よい散りぎわが、日本人の生きざまを象徴している。桜の美しさは、まさに日本の美そのものである。坂口は、その桜の花の下に、人間がいなければ怖しい景色になるというべつの発想をもって、この説話をこしらえた。

山賊は、鈴鹿山に住みつき、おおぜいの女を妻にしている。最後にさらってきた美女の言うままに、まえの女房たちを次々に殺していく。都に出ては、やはり女の言う通りに、金銀財宝を奪うばかりではなく、首のコレクションをはじめる。女の魔性(鬼)のとりこになった山賊が、だんだん自分の所業に疑いをもちはじめる。
(「1990年公演パンフレット「イメージ豊かに人間の魔性を問う問題作」藤田洋・演劇評論家」より)
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 『櫻の森の満開の下』広島公演(東京演劇アンサンブル)
 日時 2014年4月12日(土)19時開演
           13日(日)14時開演
 会場 広島県民文化センター (中区大手町一丁目)
 料金 2,999円(自由席)

2013年12月18日水曜日

亭主を斬り殺してわたしを掴みとったとき、お前のことはみんなわたしにわかったのだよ

1990 New York公演パンフレットより
女=真野季節 男=柳川光良

女 みんなはじめはそんなふうなことをいうのよ男は。
男 莫迦な! 俺はさっきからこの五体のなかでうずうずうごめいているものを、お前に受けとってもらいたいとうずうずしているんだ。
女 フフフ、なんだいうずうずばかりじゃないか。
男 そのうずうずがどういったらいいもんやら、俺にはうまく探し出せない。
女 バカだねお前は。麓の道でわたしの亭主を斬り殺してわたしを掴みとったとき、お前のことはみんなわたしにわかったのだよ。それをいまさら山賊のことばでもう一度わたしにつたえようなんて、ほんとに無駄なことだよ。
男 山賊のことばか。山賊のことばでなければいえないこともあるぜ、山賊の五体のなかのうずうずは、とてもお前にわかってはいまい。
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 『櫻の森の満開の下』広島公演(東京演劇アンサンブル)
 日時 2014年4月12日(土)19時開演
           13日(日)14時開演
 会場 広島県民文化センター (中区大手町一丁目)
 料金 2,999円(自由席)

2013年12月11日水曜日

ごうごうと渦巻く100キロもの桜吹雪、宙を舞う女など、観客の度肝を抜く広渡演出

 東京演劇アンサンブルは、今年6月にモルドバでのフェスティバルとシビウ国際演劇祭で上演した「桜の森の満開の下」を、27日から9月1日まで、東京・武蔵関のブレヒトの芝居小屋で上演する。

 劇団主宰で演出家の広渡常敏(2006年死去)が、師事した檀一雄のすすめで坂口安吾の小説を脚本化、演出した舞台。1990年の米ニューヨークを手始めに、海外公演を重ねてきた。広渡と共に舞台を作ってきた山賊役の公家義徳は、「ごうごうと渦巻く100キロもの桜吹雪、宙を舞う女など、観客の度肝を抜く広渡演出と、役者の身体性が絶賛されてきた。東京での公演はこれが最後になるので、多くの観客に見てもらいたい」という。
(2013年8月23日  読売新聞「海外公演成功の勢い、2劇団が凱旋公演」より)
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/stage/theater/20130821-OYT8T00874.htm

2013年12月7日土曜日

お前は淋しいってことがどういうことだか、わからないんだね?

女=原口久美子
男=公家義徳
女 いやいや、いやよ! お前のような山男が苦しがるほどの山坂を、どうしてわたしがあるけるものか、考えてごらんよ。

女 だめ! (男の首っ玉にしがみつく)わたしはこんな淋しいところにいっときもじっとしておれないの。お前の家のあるところまで休まず急いでおくれ、さもないとわたしはお前の女房になってあげないよ。こんな淋しい思いをさせるなら、わたしは舌を噛んで死んでしまうから。


男 さびしいってぜんたい、なんのことだ?


女 まあ! お前は淋しいってことがどういうことだか、わからないんだね? 淋しいということばを知らないんだね? 無理もない、お前のような山男には淋しいということばなんか入り用でないものね。まあいいわ、つまらないこと考えないでとっととおあるき。


(「『櫻の森の満開の下』脚本 広渡常敏」より)
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 『櫻の森の満開の下』広島公演(東京演劇アンサンブル)
 日時 2014年4月12日(土)19時開演
           13日(日)14時開演
 会場 広島県民文化センター (中区大手町一丁目)
 料金 2,999円(自由席)

2013年12月4日水曜日

俳優の行為を挑発する これはもはや衣裳ではすまされない

男(山賊)=柳川光良 1990年公演パンフより
「舞台の衣裳はこれまでの長い間、登場人物の性格の「表現」として考えられてきた。人物の性格、その内面や劇構成や展開を「表現」する衣裳――だがぼくらは今では、衣裳は舞台で”着る”ものだと考えるようになった。演技が「表現」であるより俳優の「行為」であるように、俳優の着るという「行為」の対象としての衣裳。ぼくらの友人、北村道子は記号化されることのない行為の対象として衣裳をぼくらに提示する。あるいは強制的記号としての衣裳をぼくらにつきつけて、俳優の行為を挑発する。これはもはや衣裳ではすまされない一つのただならぬ事件に違いないのだ。」
(1984公演パンフレット「稽古場の手帳 広渡常敏 腐食する風景」より)
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 『櫻の森の満開の下』広島公演(東京演劇アンサンブル)
 日時 2014年4月12日(土)19時開演
           13日(日)14時開演
 会場 広島県民文化センター (中区大手町一丁目)