終戦の年、東京は桜の季節に空襲に遭った。そのさまを作家坂口安吾(さかぐちあんご) が見ていた。
3月10日の大空襲の後、上野の山では焼け残った桜が花を咲かせた。だが花見客は一人もいない。風ばかりが吹き抜ける満開の桜の下は、冷気と静寂に支配されていた。安吾は、虚無の空間に魂が消え入っていくような不安感に襲われる。
終戦から2年後、安吾は、このときの恐ろしげな実感を、グロテスクで美しい傑作「桜の森の満開の下」に結実させた。桜の美の奥に潜むまがまがしさを描き出し、いまも多くの読者を魅了する。
(朝日新聞2006.4.7「ニッポン人・脈・記 満開の下たたえる妖気」より)
2014年4月11日金曜日
2014年4月8日火曜日
「氷を抱きしめたような」気分……ことばの内側へと、奥へと、視線が、思考が伸びていく
「わたしの重さがわかるのお前?」
鬼と化した女を殺し、男は呆然と座り込む。
「お前は淋しいってことがどういうことだか、わからないんだね? 淋しいということばを知らないんだね?」と女の声。
女は桜に埋もれていく。
「山賊のことばでなければいえないこともあるぜ!」と男は花びらを掻きわける。
男が山刀を抜いて空を切ると女の悲鳴。
山賊のことばでなければいえないことって、なんだろう?
この問いについてぼくらの思考をすすめることが、『桜の森の満開の下』の作品世界を考えることなのだ。坂口安吾は『文学のふるさと』のなかで「氷を抱きしめたような」気分と書きつけている。「絶望」や「孤独」ではぼくらの思考がそこで完結してしまいそうだが、「氷を抱きしめたような」気分となると、そのことばの内側へと、奥へと、ぼくらの視線が、思考が伸びていく。“山賊のことば” とはことばの奥へと分け入っていったところに浮上することばといえないだろうか? 文学というものは、普段ぼくらが日常生活のなかで口にしていることば、つまり社会に属していることばと骨身を削るような格闘を通して、創り出されることばの世界だと柄谷行人さんはいうのだが、坂口安吾は社会一般のモラルから限りなく“堕落” しようとするところに、文学を創りだそうとする。(『堕落論』一九四七年) 安吾によれば山賊のことばは、限りなく堕落をとげた地点に創りだされる文学のことばなのである。(1999年、広渡常敏、「ナイーヴな世界へ ― ブレヒトの芝居小屋 稽古場の手帳」より。)
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坂口安吾=作 広渡常敏=脚本・演出 池辺晋一郎=音楽
料金 2,999円 中高生以下1,000円(自由席)
*未就学児は入場できません。
鬼と化した女を殺し、男は呆然と座り込む。
「お前は淋しいってことがどういうことだか、わからないんだね? 淋しいということばを知らないんだね?」と女の声。
女は桜に埋もれていく。
「山賊のことばでなければいえないこともあるぜ!」と男は花びらを掻きわける。
男が山刀を抜いて空を切ると女の悲鳴。
山賊のことばでなければいえないことって、なんだろう?
この問いについてぼくらの思考をすすめることが、『桜の森の満開の下』の作品世界を考えることなのだ。坂口安吾は『文学のふるさと』のなかで「氷を抱きしめたような」気分と書きつけている。「絶望」や「孤独」ではぼくらの思考がそこで完結してしまいそうだが、「氷を抱きしめたような」気分となると、そのことばの内側へと、奥へと、ぼくらの視線が、思考が伸びていく。“山賊のことば” とはことばの奥へと分け入っていったところに浮上することばといえないだろうか? 文学というものは、普段ぼくらが日常生活のなかで口にしていることば、つまり社会に属していることばと骨身を削るような格闘を通して、創り出されることばの世界だと柄谷行人さんはいうのだが、坂口安吾は社会一般のモラルから限りなく“堕落” しようとするところに、文学を創りだそうとする。(『堕落論』一九四七年) 安吾によれば山賊のことばは、限りなく堕落をとげた地点に創りだされる文学のことばなのである。(1999年、広渡常敏、「ナイーヴな世界へ ― ブレヒトの芝居小屋 稽古場の手帳」より。)
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『櫻の森の満開の下』広島公演(東京演劇アンサンブル)
日時 2014年4月12日(土)19時開演
13日(日)14時開演
会場 広島県民文化センター (中区大手町一丁目)
料金 2,999円 中高生以下1,000円(自由席)
*未就学児は入場できません。
2014年4月4日金曜日
自分たちが風のごとくに自由で、さくらの花のように完壁であるがために、社会の定めや自らの弱点と闘う
「キシノウ・ジャーナル紙」より
イリナ・ネヒト(Irina Nechit)
広渡常敏演出、東京演劇アンサンブルによる「桜の森の満開の下」の舞台が、キシノウに結晶化した形でやって来た。この舞台は、生き生きとした新鮮さを保持しつつ、叙事詩的な日本の美学を魔法に近い領域にまで高め、そこに観客を引き込むことに成功した。
作品に出て来る男(公家義徳)と女(原口久美子)は、情熱や優しさ、哀れみを遥かに超えた絶対的な自由についての物語りを私たちに提示するのである。二人は、自分たちが風のごとくに自由で、さくらの花のように完壁であるがために、社会の定めや自らの弱点と闘うのである。
「日本文化の日々」は、山のさわやかな空気と人間の性につての真実、それはしばしば残酷であり、血に飢えており、天使に転身しうる可能性を秘めた悪魔を持っていることを語る勇気をキシノウに齎(もたら)してくれた。ウジェーヌ・イオネスコ劇場で土日に「桜の森の満開の下」の舞台を観た人々は、舞台の幻覚のようなイメージと、とくに神話に命を再び吹き込み、一過性のこの世の中の危険と予測不可能な現実を生きることへの恐怖を乗り越える力を与えてくれる役者の力を、長い時間忘れることはないであろう。(2013年6月)
イリナ・ネヒト(Irina Nechit)
広渡常敏演出、東京演劇アンサンブルによる「桜の森の満開の下」の舞台が、キシノウに結晶化した形でやって来た。この舞台は、生き生きとした新鮮さを保持しつつ、叙事詩的な日本の美学を魔法に近い領域にまで高め、そこに観客を引き込むことに成功した。
作品に出て来る男(公家義徳)と女(原口久美子)は、情熱や優しさ、哀れみを遥かに超えた絶対的な自由についての物語りを私たちに提示するのである。二人は、自分たちが風のごとくに自由で、さくらの花のように完壁であるがために、社会の定めや自らの弱点と闘うのである。
「日本文化の日々」は、山のさわやかな空気と人間の性につての真実、それはしばしば残酷であり、血に飢えており、天使に転身しうる可能性を秘めた悪魔を持っていることを語る勇気をキシノウに齎(もたら)してくれた。ウジェーヌ・イオネスコ劇場で土日に「桜の森の満開の下」の舞台を観た人々は、舞台の幻覚のようなイメージと、とくに神話に命を再び吹き込み、一過性のこの世の中の危険と予測不可能な現実を生きることへの恐怖を乗り越える力を与えてくれる役者の力を、長い時間忘れることはないであろう。(2013年6月)
“日本フェスティバル”
FESTIVALUL INTERNATIONAL AL ARTELOR SCENICE, BITEI-2013
FESTIVALUL INTERNATIONAL AL ARTELOR SCENICE, BITEI-2013
2014年4月3日木曜日
東京演劇アンサンブル『櫻の森の満開の下』上演実績
東京演劇アンサンブル『櫻の森の満開の下』上演実績
脚本・演出/広渡常敏
表の左から、年、上演日程、ステージ数、公演地・劇場等
脚本・演出/広渡常敏
表の左から、年、上演日程、ステージ数、公演地・劇場等
1966
|
3.4~3.10
|
7
|
俳優座劇場 -文芸小劇場-
『櫻の森の満開の下』
『門』檀一雄作、広渡常敏脚本 |
|
1984
|
6.8~6.15
|
10
|
パルコスペースパート3
|
|
10.5~10.14
|
12
|
ブレヒの芝居小屋
|
||
1986
|
7
|
徳島、岡山、尾道、周南、広島、松山
|
||
10.23~10.25
|
3
|
久留米・福岡
アンサンブルを観る会 |
||
1987
|
9.19~9.20
|
3
|
呉・倉敷
|
|
1988
|
磐田、富士、長岡京、岡山
|
|||
1989
|
9.8~9.10
|
3
|
ブレヒトの芝居小屋
|
|
1990
|
3.14~3.25
|
10
|
ニューヨーク、ラ・ママ
|
|
4.6~4.8
|
3
|
ブレヒトの芝居小屋
|
||
4.14~4.25
|
9
|
内子町ほか
|
||
1991
|
8.30~9.1
|
3
|
ブレヒトの芝居小屋
|
|
10.11~10.13
|
5
|
ソウル、文芸会館/アジア大西洋演劇フェスティバル
|
||
1999
|
3.25~3.28
|
5
|
ブレヒトの芝居小屋
|
|
9.6~9.8
|
3
|
ウランウデ、
国立アカデミーオペラ劇場 |
||
9.14~9.18
|
5
|
ロンドン、バタシーアートセンター
|
||
11.6~11.8
|
5
|
新国立劇場小劇場
|
||
12.4
|
1
|
所沢
|
||
2005
|
2.18~2.22
|
5
|
ブレヒトの芝居小屋
|
|
3.12~3.13
|
2
|
ベルファスト、ウォーターフロントホール
|
||
3.16~3.19
|
3
|
ダブリン、サミュエルベケットシアター
|
||
3.22~3.23
|
3
|
コーク、グラナリーシアター
|
||
2007
|
ブレヒトの芝居小屋
|
|||
新潟、高崎、前橋、沼田
|
||||
2009
|
大宮
|
|||
2010
|
ブレヒトの芝居小屋
|
|||
2013
|
5月下旬~6月上旬
|
ルーマニア・シビウ国際演劇祭
|
||
モルドバ日本フェスティバル
|
||||
8.27~9.1
|
ブレヒトの芝居小屋
|
|||
2014
|
1.17~1.26
|
上田、松本、長野、伊那
|
||
4.8~4.13
|
倉敷、岡山、広島
|
2014年3月26日水曜日
冒頭から舞い散る桜の花びらは、ある時は嵐のように吹き荒れあらゆる存在を飲み込むように…… 感想2
2013年8月ブレヒトの芝居小屋公演感想
■坂口安吾作ということで期待していました。 壇一雄が脚色を依頼したということを知って、ますます興味を持ちました。予想以上にすばらしい舞台でした。歌舞伎を思わせる華麗さがあり、迫力がありました。オリエンタルであり、神秘的であり内容的には愛と憎は紙一重というようなことを考えてしまいました。見ることができてよかったです。公家さんはかっこよかった。理屈なく感動しました。(男性・54歳)
■大人のドラマでした。昔の黒沢映画をみているような…。どこまでいくのか判らない面白さがありました。(男性)
■演出がかっこ良かった。役者さんが後ろを向いていても、感情がみえるところがすごいです。 (女性・16歳)
■東京演劇アンサンブルの舞台を観るのも、ブレヒトの芝居小屋という劇場を訪れるのも初めてだったのですが、1時間あまりのそのスぺクタクルのダイナミックさと繊細さ、美しさと残酷さに目と心を惹きつけられた素晴らしい作品でした。特に、物語の冒頭から舞い散る桜の花びらは、ある時は嵐のように吹き荒れあらゆる存在を飲み込むように恐ろしく、最後はその静寂さから現生の夢と幻想を感じさせられ、男女の愛と孤独を描いている物語そのものを象徴しでいるようだった。(男性・30代)
(a letter from the Ensemble No.107. 13.10.05より)
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坂口安吾=作 広渡常敏=脚本・演出 池辺晋一郎=音楽
料金 2,999円 中高生以下1,000円(自由席)
*未就学児は入場できません。
■坂口安吾作ということで期待していました。 壇一雄が脚色を依頼したということを知って、ますます興味を持ちました。予想以上にすばらしい舞台でした。歌舞伎を思わせる華麗さがあり、迫力がありました。オリエンタルであり、神秘的であり内容的には愛と憎は紙一重というようなことを考えてしまいました。見ることができてよかったです。公家さんはかっこよかった。理屈なく感動しました。(男性・54歳)
■大人のドラマでした。昔の黒沢映画をみているような…。どこまでいくのか判らない面白さがありました。(男性)
■演出がかっこ良かった。役者さんが後ろを向いていても、感情がみえるところがすごいです。 (女性・16歳)
■東京演劇アンサンブルの舞台を観るのも、ブレヒトの芝居小屋という劇場を訪れるのも初めてだったのですが、1時間あまりのそのスぺクタクルのダイナミックさと繊細さ、美しさと残酷さに目と心を惹きつけられた素晴らしい作品でした。特に、物語の冒頭から舞い散る桜の花びらは、ある時は嵐のように吹き荒れあらゆる存在を飲み込むように恐ろしく、最後はその静寂さから現生の夢と幻想を感じさせられ、男女の愛と孤独を描いている物語そのものを象徴しでいるようだった。(男性・30代)
(a letter from the Ensemble No.107. 13.10.05より)
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『櫻の森の満開の下』広島公演(東京演劇アンサンブル)
日時 2014年4月12日(土)19時開演
13日(日)14時開演
会場 広島県民文化センター (中区大手町一丁目)
料金 2,999円 中高生以下1,000円(自由席)
*未就学児は入場できません。
2014年3月25日火曜日
淋しいという意味を考えさせられました 感想1
![]() |
写真はNew York公演 |
■前回観たときよりはるかに洗練されて、しかも野生的肉感的になっていて、心に迫ってくる力をもっている舞台でした。期待はしていましたがこれほど面白くなっているとは…遠くからきたかいがありました。(男性・56歳)
■迫力のある演技に吸い込まれるようでした! 淋しいという意味を考えさせられました。(女性・48歳)
■はじまりからド肝を抜かれました。美しすぎるものにどこか恐怖を感じるのは何となく共感できます。(女性・44歳)
■本日はありがとうございました。
ただ一言、すごい!! につきます。
すばらしい時間をすごさせていただきました。
(女性)
■今回予想外の激しい動きにおどろきました。
(男性・39歳)
(a letter from the Ensemble No.107. 13.10.05より)
2014年3月22日土曜日
愛情の果てにどちらかが散らねばならない。和合円満というわけにはいかないところがおもしろい
![]() |
1984年6月13日東京新聞 劇評 |
『桜の森の満開の下』
妖気漂う男と女の関係が…
東京新聞1984年6月13日より
桜の花の下には冷たい風がはりつめている。花の下は涯(はて)しがない。花の下は妙にしんと静かで妖気(ようき)が漂っている。坂口安吾の異常感覚にひかれてから、すでに数十年の歳月がたつが、いつこうに蓑えない。この感覚にとり憑(つ)かれて、私自身の花見気分は変わった。ながい間、この作品の劇的展開を観たいと願っていたが、はからずも広渡常敏が脚本を書いており、広渡自身が演出するので、大いに期待がかかった。夢が実現したのである。
時は中世、都を荒らしている物盗りの山男と、夫が切り殺されて山男のものになったわがまま女の物語。愛情の果てにどちらかが散らねばならない。和合円満というわけにはいかないところがおもしろい。他の男女の生首がうごめき、舞い踊る中に、ひしひしと事の終末が近づいてくる。
宮域康博の山男が、現代的で気どった蛮性がなく、好演。印象が深い。真野季節のわがまま女房も、晴れの主役に抜てきされて、その存在感が明確に打ち出されている。短い時間の舞台であるが、迫真力はあった。
大和心を人問わば、朝日に匂う山桜花と、中世の国文学者はほざいていたが、そのような心境と感情移入は、空虚な世界である。桜の森の満開の下には、すさまじい男女の関係があり、鬼と人間との闘争が永遠に展開する。その事件の指し示すものは、軍国体制と付和随行する大衆への、坂口安吾の抵抗だったように思う。
(詩人 長谷川龍生)
2014年3月20日木曜日
「女性とは何か?」、「肉体と精神」、「人間の悲しみと孤独」について私たちに語りかけてくる
![]() |
フェスティバルHPより画像の部分 男 公家義徳 |
BEING LOST IN A FLURRY OF CHERRY BLOSSOMS
桜の森の満開の下で
阪本由貴
フェスティバル初日、誰もがこの特別な日に何が起こるのか興奮して待ちかまえていた。東京演劇アンサンブルは、この20周年記念を飾る最初の舞台として驚くべきオープニングをもたらしてくれた。
かれらのパフォーマンス『桜の森の満開の下』は、高校の体育館で行われた。
会場は壁もすべて黒幕で覆われ、多くの場所に照明が吊られ、片側には客席が、もう一方には美しいダークブラウンの木の舞台がプラットホーム(B舞台)とともに設置された。ここが学校の体育館とは想像もできない。ステージの真ん中から両側に引幕が開かれると、満開の桜の美しい全屏風が現れた。それはいきなり私たちを日本の風景へ連れて行った。
物語は大きな衝撃とともに始まる。一組の男女が、金屏風を破って出てくる。空から降りしきる幾千もの桜の花びらとともに。その男は桜の森にすむ山賊で、彼は神秘的で美しいけれど残酷な女をその夫から略奪した。山賊は女の美しさを崇め、その女は男に人びとを殺して生首を持ってこさせる。彼が女のもとを離れようと心に決めたとき、女は夜叉に変わる。夜叉の息の根を止めたとき、彼はそれがあの美しい女の死体だということに気づいた。桜の花びらは更に激しく降り、死体は消え、男はとり残される。そして桜の森に女の悲鳴が響く。
わたしはこのパフオーマンスを外国の人びとがどのように感じるのかにとても興味をもった。アレクサンドル(シビウで演劇の勉強をする20才の学生)は、「とても興味深い物語だった。役者と振付がよかった。日本語の上演にもかかわらずストーリーがわかった。ストーリーが観客の心に残るということは、演劇において最も大切なことだと思います。」フライデリケ(タイタニック劇場の28才の女優)「わたしにとって、これが初めてのアジアのパフオーマンスだった。美術はとても美しかったし、効果や演技は素晴らしかった。すべてが完璧なタイミングだった。扇風機を抱えた裏方の人たちさえ、この舞台にたいへん効果的だった。」チョン(ちょうど演出の勉強を終えたばかりの27才)は「わたしは、彼らのバイオレンスの表現方法が好きです。音楽は演技や踊りにぴったりで、話し方さえこの舞台に大きな効果を生み出していた。私は歌舞伎風の白塗りのダンスが気に入りました。パフオーマンスは魅惑的で、始まりから終わりまですごいインパクトで、どの瞬間も集中して観ることができました。」
満開の桜の下では恐ろしいことが起きるという伝説に基づいたこの物語は、「女性とは何か?」、「肉体と精神」、「人間の悲しみと孤独」について私たちに語りかけてくる。上の方から降ってくる何千何万という桜の花びらは、空中で渦巻き、舞台に積もる。色によるバイオレンスの表現の美しさ、日本の歌舞伎の白塗と美しいコンテンポラリーダンスの調和、そして役者たちの素晴らしい情熱が、わたしたちをシビウから違う世界へ、神秘的な桜の森の満開の下へ誘った。(2003/06/09)
「SIBIU INTERNATIONAL THEATRE FESTIVAL 2013」「aplauze」より
2014年3月17日月曜日
結局どっちかが好きだと、どっちかが妥協しなきゃいけない
![]() |
入江洋佑さん(広島市民劇場大手町事務所) |
坂口安吾は、いつの間にか自分たちのまわりを取り囲んでいる、いろいろな約束事を裸にして考えてみたらどうか。人間って何だと言うことをいった人。
みんなが仲良くしたらいい、ただ、だんだん小さく割っていてみると、世界があって国があって県があって村があって家があって、お前と私と2人っきりになった時にそんなに融和できるのだろうか、本当に。
一方が一生懸命尽くす、一方が尽くされるということは、片っ方は妥協していることじゃないか。
この作品のテーマはこれなんですよ。
本当に大好きになった女に、自分が大好きな山を捨てて尽くすだけ尽くすんだけど、もう尽くしきれなくなって、それじゃ俺は山へ帰るという。
今度は女の方が都を捨ててついて行く。結局どっちかが好きだと、どっちかが妥協しなきゃいけない。
そういう事をするのが人間だとしたら、れで良いのかという、つらい問いかけなんです。
これをみると、本当に人間の最後には、大事にしなければならないものは何だと考えさせられる。
2014年3月12日水曜日
ニューヨーク、ソール公演時の劇評 『櫻の森の満開の下』
Lost in Flurry of Cherries [Critique]
櫻の森の満開の下「劇評」
■New York
The performances have a ritualistic physical intensity that suggests a fusion of martial arts and Japanese dance traditions, and a meditation on beauty and cruelty and the indifference of nature dramatized as a quasi-erotic fable. Kisetsu Mano, as the woman whose mane of purple hair clashes with her layers of finery, projects a fierce demonic edge.
(Stephen Holdern, The New York Times 25 March, 1990)
Director Hirowatari, who has been working against two modern Japanese theatrical styles: socialist realism and stanislavskian naturalism, pulls out the stops on ancient Japanese aesthetism. At every step, he contradicts the gruesomeness of the tale with the exaggerated elegance of his staging.
(Alisa Solomon, The Village Voice 27 March, 1990)
■Seoul
The cherry blossoms which kept falling like snow, having overthrown the concept of the staging effect, led the whole audience to the space of mysterious experience.
(Kim Pan-oku, The East Asia News 17 October, 1991)
■ニュ-ヨ-ク公演 1990年3月11日~31日
祭儀的な身体の強烈さに日本の舞踊と武芸を混合させ、エロティックな寓話の形をとって、自然の美と残酷さと冷淡さへの瞑想を描いでいる謎めいたドラマ。真野季節は幾重にも重ねた美しい衣装と、紫の髪をたなびかせ、激しく残酷な鬼に変化する女を見事に演じた。
ステファン ホールデン「ニユーヨークタイムズ」1990年3月25日
社会主義リアリズムとスタニスラフスキー的自然主義という日本現代演劇の伝統に反逆しできた演出家広渡は、日本古来の審美主義に終止符を打っている。どの時点でもこの寓話の不気味さを舞台の誇張した優雅さで対比させる。
アリサ・ソレモン「ザ・ビレッジ ヴォイス」1990年3月27日
■ソウル公演 1991年10月4日~9日
終始一貫、雪のように降リ続ける桜の花びらは、舞台効果の概念を破り、劇場全体を不思議な体験の空間にみちびいていった。
キムパンオク 金芳玉「東亜日報」1991年10月17日
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坂口安吾=作 広渡常敏=脚本・演出 池辺晋一郎=音楽
櫻の森の満開の下「劇評」
■New York
The performances have a ritualistic physical intensity that suggests a fusion of martial arts and Japanese dance traditions, and a meditation on beauty and cruelty and the indifference of nature dramatized as a quasi-erotic fable. Kisetsu Mano, as the woman whose mane of purple hair clashes with her layers of finery, projects a fierce demonic edge.
(Stephen Holdern, The New York Times 25 March, 1990)
Director Hirowatari, who has been working against two modern Japanese theatrical styles: socialist realism and stanislavskian naturalism, pulls out the stops on ancient Japanese aesthetism. At every step, he contradicts the gruesomeness of the tale with the exaggerated elegance of his staging.
(Alisa Solomon, The Village Voice 27 March, 1990)
■Seoul
The cherry blossoms which kept falling like snow, having overthrown the concept of the staging effect, led the whole audience to the space of mysterious experience.
(Kim Pan-oku, The East Asia News 17 October, 1991)
■ニュ-ヨ-ク公演 1990年3月11日~31日
祭儀的な身体の強烈さに日本の舞踊と武芸を混合させ、エロティックな寓話の形をとって、自然の美と残酷さと冷淡さへの瞑想を描いでいる謎めいたドラマ。真野季節は幾重にも重ねた美しい衣装と、紫の髪をたなびかせ、激しく残酷な鬼に変化する女を見事に演じた。
ステファン ホールデン「ニユーヨークタイムズ」1990年3月25日
社会主義リアリズムとスタニスラフスキー的自然主義という日本現代演劇の伝統に反逆しできた演出家広渡は、日本古来の審美主義に終止符を打っている。どの時点でもこの寓話の不気味さを舞台の誇張した優雅さで対比させる。
アリサ・ソレモン「ザ・ビレッジ ヴォイス」1990年3月27日
■ソウル公演 1991年10月4日~9日
終始一貫、雪のように降リ続ける桜の花びらは、舞台効果の概念を破り、劇場全体を不思議な体験の空間にみちびいていった。
キムパンオク 金芳玉「東亜日報」1991年10月17日
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『櫻の森の満開の下』広島公演(東京演劇アンサンブル)
日時 2014年4月12日(土)19時開演
13日(日)14時開演
会場 広島県民文化センター (中区大手町一丁目)
料金 2,999円(自由席)
2014年2月8日土曜日
入江洋佑さんに『櫻の森の満開の下』の魅力を聞く会
入江洋佑さんを迎えて
『櫻の森の満開の下』の魅力を聞く会
海外8カ国9都市が求めた東京演劇アンサンブルの舞台の魅力
2月15日(土)
10時30分から 広島市民劇場 安佐南事務所
広島市安佐南区古市1丁目38-27-203
TEL.082-877-4423
14時00分から 広島市民劇場 大手町事務所
広島市中区大手町2丁目6-15-3F
TEL.082-247-5433
参加無料
*どなたでも参加できます。
《入江洋佑》
東京都出身。俳優座養成所三期生。1954年三期会を発足。創立メンバー。劇団代表。
東京演劇アンサンブルの看板俳優であり、広渡常敏のよきパートナーとして、ともに劇団を支えてきた。
代表作は、木下順二の『蛙昇天』『オットーと呼ばれる日本人』『コミューンの日々』『ガリレイの生涯』『グスコーブドリの伝記』『かもめ』こどもの芝居では、『走れメロス』『おんにょろ盛衰記』などの大きな役を数多くつとめる。
映画の代表作では『赤線地帯』(溝口健二)、『春琴抄』(伊藤大輔)、『浮草物語』(小津安次郎)、『真白き富士の嶺』(佐伯幸三)などがある。
また、『國語元年』『遠く天安門へ』、『ガラスの動物園』などの演出も手がけている。
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『櫻の森の満開の下』の魅力を聞く会
海外8カ国9都市が求めた東京演劇アンサンブルの舞台の魅力
2月15日(土)
10時30分から 広島市民劇場 安佐南事務所
広島市安佐南区古市1丁目38-27-203
TEL.082-877-4423
14時00分から 広島市民劇場 大手町事務所
広島市中区大手町2丁目6-15-3F
TEL.082-247-5433
参加無料
*どなたでも参加できます。
《入江洋佑》
東京都出身。俳優座養成所三期生。1954年三期会を発足。創立メンバー。劇団代表。
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ネットで見つけた映画『秘密』(1952年)のワンシーン。
物語の家族の次女(若尾文子)の友人役として江原達怡、
南田洋子等が出演。
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東京演劇アンサンブルの看板俳優であり、広渡常敏のよきパートナーとして、ともに劇団を支えてきた。
代表作は、木下順二の『蛙昇天』『オットーと呼ばれる日本人』『コミューンの日々』『ガリレイの生涯』『グスコーブドリの伝記』『かもめ』こどもの芝居では、『走れメロス』『おんにょろ盛衰記』などの大きな役を数多くつとめる。
映画の代表作では『赤線地帯』(溝口健二)、『春琴抄』(伊藤大輔)、『浮草物語』(小津安次郎)、『真白き富士の嶺』(佐伯幸三)などがある。
また、『國語元年』『遠く天安門へ』、『ガラスの動物園』などの演出も手がけている。
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『櫻の森の満開の下』広島公演(東京演劇アンサンブル)
日時 2014年4月12日(土)19時開演
13日(日)14時開演
日時 2014年4月12日(土)19時開演
13日(日)14時開演
会場 広島県民文化センター (中区大手町一丁目)
料金 2,999円(自由席)
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