鬼と化した女を殺し、男は呆然と座り込む。
「お前は淋しいってことがどういうことだか、わからないんだね? 淋しいということばを知らないんだね?」と女の声。
女は桜に埋もれていく。
「山賊のことばでなければいえないこともあるぜ!」と男は花びらを掻きわける。
男が山刀を抜いて空を切ると女の悲鳴。
山賊のことばでなければいえないことって、なんだろう?
この問いについてぼくらの思考をすすめることが、『桜の森の満開の下』の作品世界を考えることなのだ。坂口安吾は『文学のふるさと』のなかで「氷を抱きしめたような」気分と書きつけている。「絶望」や「孤独」ではぼくらの思考がそこで完結してしまいそうだが、「氷を抱きしめたような」気分となると、そのことばの内側へと、奥へと、ぼくらの視線が、思考が伸びていく。“山賊のことば” とはことばの奥へと分け入っていったところに浮上することばといえないだろうか? 文学というものは、普段ぼくらが日常生活のなかで口にしていることば、つまり社会に属していることばと骨身を削るような格闘を通して、創り出されることばの世界だと柄谷行人さんはいうのだが、坂口安吾は社会一般のモラルから限りなく“堕落” しようとするところに、文学を創りだそうとする。(『堕落論』一九四七年) 安吾によれば山賊のことばは、限りなく堕落をとげた地点に創りだされる文学のことばなのである。(1999年、広渡常敏、「ナイーヴな世界へ ― ブレヒトの芝居小屋 稽古場の手帳」より。)
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『櫻の森の満開の下』広島公演(東京演劇アンサンブル)
日時 2014年4月12日(土)19時開演
13日(日)14時開演
会場 広島県民文化センター (中区大手町一丁目)
料金 2,999円 中高生以下1,000円(自由席)
*未就学児は入場できません。