2014年3月28日金曜日

汝、役者であるまえに人間であれ

ナイーヴな世界へ ブレヒトの芝居小屋 稽古場の手帳
2003年5月20日 影書房
ある時は芝居小屋に近いぼくの狭い汚い仕事部屋に、白いズック靴で先生がやって来られる。ぼくの落とす珈琲を飲みながら、先生はマイノリティーの生きざまについて、アマチュアリズムについて話された。“アマチュアリズム”ということばはなぜか、先生の口からは出なかったのだが、たぶん、ぼくらがあまりにも素人(しろうと)くさいグループだったからだろうか。だが久野先生は、汝、役者であるまえに人間であれという、芝居する者の、俳優のアイデンティティー(生きかた)について話された。スタニスラフスキーについての批判的な討論のなかでも、そのディテールの誠実さに、その即興にこそ、俳優の“素顔”が表出されることを先生は指摘される。「神は細部に宿り給う」のであった。ネジ曲げられ、中途にして挫折したスタニスラフスキー・システムの再生、蘇生へむけて注がれる、久野収の目の確かさに、ぼくは感動するばかりであった。 
(『ナイーヴな世界へ ― ブレヒトの芝居小屋 稽古場の手帳』「稽古場の久野収先生 1999.4.3」より)