2013年12月2日月曜日

辺境性と地下性というマイノリティの魂によって、はじめて生きられる

広渡常敏 1984年公演パンフレットより
東京演劇アンサンブルの『櫻の森の満開の下』1965年(昭和40年)に広渡常敏により脚本化され、1966年3月に俳優座劇場にて上演されている。劇団名を「三期会」としていた頃だ。

1984年(昭和59年)6月にパルコ スペース パート3で、およそ20年を経て上演される。その時のパンフレットの文章「稽古場の手帳 広渡常敏 腐食する風景」の一部を抜粋して紹介する。

「――精神の危機におびえる不安のまなざしの中に浮かんだ風景の、なんとめくるめく光彩にみちていることだろう。これらの風景はたしかに一九二〇年代のものだ。耽美(たんび)の心も官能的なものへの憧憬(しょうけい)も、辺境性と地下性というマイノリティの魂によって、はじめて生きられる。坂口安吾の『桜の森の満開の下』もこのようにして眺められた風景の一つに違いないのである。坂口安吾は一九四七年にこれを書いたのだったが、精神の不安のなかで耽美(たんび)のファンタジーを探りとろうとした。この風景のなかで“風博士”安吾にとって世界を隔てる壁は半透膜となって融通自在、人間の心の襞(ひだ)のどんな揺れも露(あら)わに覗(のぞ)かれる。安吾はそこで山賊のことばでしか語れない生を仮構したのであった。」