「同時代を生きる」第2号 1975年12月20日 東京演劇アンサンブル発行 |
250ページばかりの雑誌のほとんど最後に、この台本が掲載されていた。12ページの短いもので一気に読んだ。坂口安吾は読んだことがなかった。あの有名な写真とともに名前だけは知っていたが読んだことはなかった。
観たいという思いをずっともっていた。劇団と話す機会もあったが話題にすることはなかった。
それが突然、写真週刊誌「フォーカス」の見開きカーラーの記事となって登場した。いま調べてみると1984年のこと、その2年後に広島市民劇場の例会として県民文化センターで4ステージの公演を行っている。
中央部分を客席に張り出した舞台、圧倒される桜吹雪、今まで観る事のなかった世界観、いくつもの仕掛けが相まって舞台の吸引力は相当だ。その後、呉市や東京を含めて何回か見ている。
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雑誌中程の「特集 ギャグの発見」20ページほどに萩本欽一、向井徳七、由利徹の三氏が登場する。当時なぜと思ったことは記憶している。さっと読んでみると「ぼくはね、いい舞台とかいい番組とかっていうのは、どんな場合でもつっこみとボケってのがなきゃだめだと思うんですよ。新劇見てて時々思うんだけど、新劇の役者さんはみんなつっこみばかりだからおもしろくないんじゃないかなあ。」(萩本欽一)、
「こんな話し、やっぱり活字になってもおもしろくないんじゃないかなあ。新劇の戯曲ってのとは違うからねえ。それより今度ひまができたら、劇団へ出むいて行くから実演でよんでくださいよ。」(由利徹)などが目に付いた。