2014年3月28日金曜日

汝、役者であるまえに人間であれ

ナイーヴな世界へ ブレヒトの芝居小屋 稽古場の手帳
2003年5月20日 影書房
ある時は芝居小屋に近いぼくの狭い汚い仕事部屋に、白いズック靴で先生がやって来られる。ぼくの落とす珈琲を飲みながら、先生はマイノリティーの生きざまについて、アマチュアリズムについて話された。“アマチュアリズム”ということばはなぜか、先生の口からは出なかったのだが、たぶん、ぼくらがあまりにも素人(しろうと)くさいグループだったからだろうか。だが久野先生は、汝、役者であるまえに人間であれという、芝居する者の、俳優のアイデンティティー(生きかた)について話された。スタニスラフスキーについての批判的な討論のなかでも、そのディテールの誠実さに、その即興にこそ、俳優の“素顔”が表出されることを先生は指摘される。「神は細部に宿り給う」のであった。ネジ曲げられ、中途にして挫折したスタニスラフスキー・システムの再生、蘇生へむけて注がれる、久野収の目の確かさに、ぼくは感動するばかりであった。 
(『ナイーヴな世界へ ― ブレヒトの芝居小屋 稽古場の手帳』「稽古場の久野収先生 1999.4.3」より)

2014年3月26日水曜日

冒頭から舞い散る桜の花びらは、ある時は嵐のように吹き荒れあらゆる存在を飲み込むように…… 感想2

2013年8月ブレヒトの芝居小屋公演感想

■坂口安吾作ということで期待していました。 壇一雄が脚色を依頼したということを知って、ますます興味を持ちました。予想以上にすばらしい舞台でした。歌舞伎を思わせる華麗さがあり、迫力がありました。オリエンタルであり、神秘的であり内容的には愛と憎は紙一重というようなことを考えてしまいました。見ることができてよかったです。公家さんはかっこよかった。理屈なく感動しました。(男性・54歳) 

■大人のドラマでした。昔の黒沢映画をみているような…。どこまでいくのか判らない面白さがありました。(男性) 

■演出がかっこ良かった。役者さんが後ろを向いていても、感情がみえるところがすごいです。 (女性・16歳)

 ■東京演劇アンサンブルの舞台を観るのも、ブレヒトの芝居小屋という劇場を訪れるのも初めてだったのですが、1時間あまりのそのスぺクタクルのダイナミックさと繊細さ、美しさと残酷さに目と心を惹きつけられた素晴らしい作品でした。特に、物語の冒頭から舞い散る桜の花びらは、ある時は嵐のように吹き荒れあらゆる存在を飲み込むように恐ろしく、最後はその静寂さから現生の夢と幻想を感じさせられ、男女の愛と孤独を描いている物語そのものを象徴しでいるようだった。(男性・30代)
a letter from the Ensemble No.107. 13.10.05より)
     ---・-・----・・・----・-・---
 『櫻の森の満開の下』広島公演(東京演劇アンサンブル)

 坂口安吾=作  広渡常敏=脚本・演出  池辺晋一郎=音楽


 日時 2014年4月12日(土)19時開演
           13日(日)14時開演
 会場 広島県民文化センター (中区大手町一丁目)

 料金 2,999円   中高生以下1,000円(自由席)
     *未就学児は入場できません。

2014年3月25日火曜日

淋しいという意味を考えさせられました 感想1

写真はNew York公演
2013年8月ブレヒトの芝居小屋公演感想

■前回観たときよりはるかに洗練されて、しかも野生的肉感的になっていて、心に迫ってくる力をもっている舞台でした。期待はしていましたがこれほど面白くなっているとは…遠くからきたかいがありました。(男性・56歳)

■迫力のある演技に吸い込まれるようでした! 淋しいという意味を考えさせられました。(女性・48歳)

■はじまりからド肝を抜かれました。美しすぎるものにどこか恐怖を感じるのは何となく共感できます。(女性・44歳)

■本日はありがとうございました。
ただ一言、すごい!! につきます。
すばらしい時間をすごさせていただきました。
(女性)

■今回予想外の激しい動きにおどろきました。
(男性・39歳)
a letter from the Ensemble No.107. 13.10.05より)

2014年3月22日土曜日

愛情の果てにどちらかが散らねばならない。和合円満というわけにはいかないところがおもしろい

1984年6月13日東京新聞 劇評
東京演劇アンサンブル
『桜の森の満開の下』
妖気漂う男と女の関係が…

東京新聞1984年6月13日より 
桜の花の下には冷たい風がはりつめている。花の下は涯(はて)しがない。花の下は妙にしんと静かで妖気(ようき)が漂っている。坂口安吾の異常感覚にひかれてから、すでに数十年の歳月がたつが、いつこうに蓑えない。この感覚にとり憑(つ)かれて、私自身の花見気分は変わった。
ながい間、この作品の劇的展開を観たいと願っていたが、はからずも広渡常敏が脚本を書いており、広渡自身が演出するので、大いに期待がかかった。夢が実現したのである。
時は中世、都を荒らしている物盗りの山男と、夫が切り殺されて山男のものになったわがまま女の物語。愛情の果てにどちらかが散らねばならない。和合円満というわけにはいかないところがおもしろい。他の男女の生首がうごめき、舞い踊る中に、ひしひしと事の終末が近づいてくる。
宮域康博の山男が、現代的で気どった蛮性がなく、好演。印象が深い。真野季節のわがまま女房も、晴れの主役に抜てきされて、その存在感が明確に打ち出されている。短い時間の舞台であるが、迫真力はあった。
大和心を人問わば、朝日に匂う山桜花と、中世の国文学者はほざいていたが、そのような心境と感情移入は、空虚な世界である。桜の森の満開の下には、すさまじい男女の関係があり、鬼と人間との闘争が永遠に展開する。その事件の指し示すものは、軍国体制と付和随行する大衆への、坂口安吾の抵抗だったように思う。
(詩人 長谷川龍生)

2014年3月21日金曜日

シビウ国際演劇フェスティバルの『櫻の森の満開の下』を取り上げたマガジンを見ることができます

前回紹介した阪本由貴さんの記事が掲載されたマガジンのPDFファイルがインターネット上に公開されているので紹介します。
http://www.sibfest.ro/#
にアクセスすると左上のページが開きます。
その画面の上部に並んだメニューの[FESTIVAL 2013]にカーソルを合わせると2枚目の画像の表示になります。



記号Aの部分をクリックすると演劇のメニューが開きスライドしていくと上部から3分の2程度の位置に『櫻の森の満開の下』が紹介されています。

記号Bの部分をクリックすると3枚目の画像の画面が開きます。フェスティバル期間中毎日発行されているようで『櫻の森の満開の下』は6月9日号の4・5・14ページに掲載されており4と14ページが阪本さんの記事で14ページのものが前回紹介したものです。
PDFにはダウンロード以外印刷も含めて全てセキュリティーがかかっていますので翻訳ソフトも使えませんが、興味のある方はダウンロードしてみられてはどうでしょうか。

2014年3月20日木曜日

「女性とは何か?」、「肉体と精神」、「人間の悲しみと孤独」について私たちに語りかけてくる

フェスティバルHPより画像の部分
男 公家義徳
ルーマニアの『シビウ国際演劇フェスティバル2013』で発行されている“aplauze”マガジン1記事の日本語訳が東京演劇アンサンブルから提供があったので紹介します。

BEING LOST IN A FLURRY OF CHERRY BLOSSOMS
桜の森の満開の下で

阪本由貴

フェスティバル初日、誰もがこの特別な日に何が起こるのか興奮して待ちかまえていた。東京演劇アンサンブルは、この20周年記念を飾る最初の舞台として驚くべきオープニングをもたらしてくれた。
かれらのパフォーマンス『桜の森の満開の下』は、高校の体育館で行われた。

会場は壁もすべて黒幕で覆われ、多くの場所に照明が吊られ、片側には客席が、もう一方には美しいダークブラウンの木の舞台がプラットホーム(B舞台)とともに設置された。ここが学校の体育館とは想像もできない。ステージの真ん中から両側に引幕が開かれると、満開の桜の美しい全屏風が現れた。それはいきなり私たちを日本の風景へ連れて行った。

物語は大きな衝撃とともに始まる。一組の男女が、金屏風を破って出てくる。空から降りしきる幾千もの桜の花びらとともに。その男は桜の森にすむ山賊で、彼は神秘的で美しいけれど残酷な女をその夫から略奪した。山賊は女の美しさを崇め、その女は男に人びとを殺して生首を持ってこさせる。彼が女のもとを離れようと心に決めたとき、女は夜叉に変わる。夜叉の息の根を止めたとき、彼はそれがあの美しい女の死体だということに気づいた。桜の花びらは更に激しく降り、死体は消え、男はとり残される。そして桜の森に女の悲鳴が響く。

わたしはこのパフオーマンスを外国の人びとがどのように感じるのかにとても興味をもった。アレクサンドル(シビウで演劇の勉強をする20才の学生)は、「とても興味深い物語だった。役者と振付がよかった。日本語の上演にもかかわらずストーリーがわかった。ストーリーが観客の心に残るということは、演劇において最も大切なことだと思います。」フライデリケ(タイタニック劇場の28才の女優)「わたしにとって、これが初めてのアジアのパフオーマンスだった。美術はとても美しかったし、効果や演技は素晴らしかった。すべてが完璧なタイミングだった。扇風機を抱えた裏方の人たちさえ、この舞台にたいへん効果的だった。」チョン(ちょうど演出の勉強を終えたばかりの27才)は「わたしは、彼らのバイオレンスの表現方法が好きです。音楽は演技や踊りにぴったりで、話し方さえこの舞台に大きな効果を生み出していた。私は歌舞伎風の白塗りのダンスが気に入りました。パフオーマンスは魅惑的で、始まりから終わりまですごいインパクトで、どの瞬間も集中して観ることができました。」

満開の桜の下では恐ろしいことが起きるという伝説に基づいたこの物語は、「女性とは何か?」、「肉体と精神」、「人間の悲しみと孤独」について私たちに語りかけてくる。上の方から降ってくる何千何万という桜の花びらは、空中で渦巻き、舞台に積もる。色によるバイオレンスの表現の美しさ、日本の歌舞伎の白塗と美しいコンテンポラリーダンスの調和、そして役者たちの素晴らしい情熱が、わたしたちをシビウから違う世界へ、神秘的な桜の森の満開の下へ誘った。(2003/06/09) 
「SIBIU INTERNATIONAL THEATRE FESTIVAL 2013」「aplauze」より

2014年3月18日火曜日

男につくすような女は嫌いだっていったよ

女 以前ならこういったよ、お前のつんつんしたところも好きだって。
男 うん、そりゃ……あの時はそういった。
女 いまは?
男 だからいまは、もっと好きだ。
女 ナベカマを並べて男につくすような女は嫌いだっていったよ。
男 ところがこっちの方がナベカマ並べて、お前に首ったけさ。
  ハタキを持って家の中を掃除している女の姿を見るくらいなら、いっそロクロ首の女を見る方がいいといったわ。
男 ああ。たしかにそういった。
女 でも今日からは、わたしもハタキをかけるわ、おナベやおカマも並べるわ。だからもっと抱いて! さあ行きましょう、わたしたちの家へ!
男 (呻く)おう!
     男は女を背中にのせる。
   ごうごうと音をたてて降りしきる花びら。
男 ううう……急に重くなったな。

女 わたしの重さがわかるのお前?

2014年3月17日月曜日

結局どっちかが好きだと、どっちかが妥協しなきゃいけない

入江洋佑さん(広島市民劇場大手町事務所)
先日入江洋佑さんを迎えて「『櫻の森の満開の下』の魅力を聞く会」が開催された。話しは演劇そのものの話しから、坂口安吾・『櫻の森の満開の下』、演劇の魅力にまで話しは及んだが、その中から一部を抽出してみた。

坂口安吾は、いつの間にか自分たちのまわりを取り囲んでいる、いろいろな約束事を裸にして考えてみたらどうか。人間って何だと言うことをいった人。

みんなが仲良くしたらいい、ただ、だんだん小さく割っていてみると、世界があって国があって県があって村があって家があって、お前と私と2人っきりになった時にそんなに融和できるのだろうか、本当に。

一方が一生懸命尽くす、一方が尽くされるということは、片っ方は妥協していることじゃないか。

この作品のテーマはこれなんですよ。

本当に大好きになった女に、自分が大好きな山を捨てて尽くすだけ尽くすんだけど、もう尽くしきれなくなって、それじゃ俺は山へ帰るという。

今度は女の方が都を捨ててついて行く。結局どっちかが好きだと、どっちかが妥協しなきゃいけない。

そういう事をするのが人間だとしたら、れで良いのかという、つらい問いかけなんです。
これをみると、本当に人間の最後には、大事にしなければならないものは何だと考えさせられる。

2014年3月12日水曜日

中国地域の公演日程 『櫻の森の満開の下』

4月8日(火)18:45 
倉敷市芸文館 
一般3,000円、大学生以下1,000円
(当日各+500円)
チケット問い合わせ
倉敷演劇鑑賞会Tel.086-424-6730

4月10日(木)19:00 
岡山市立市民文化ホール 
一般3,000円、大学生2,000円、高校生以下1,000円
(当日各+500円)
チケット問い合わせ
岡山市民劇場Tel.086-224-7121

4月12日(土)19:00 ・ 4月13日(日)14:00 
広島県民文化センター 
一般2,999円、高校生以下1,000円
チケット問い合わせ
広島市民劇場Tel.082-247-5433

*いずれも未就学児入場不可

ニューヨーク、ソール公演時の劇評 『櫻の森の満開の下』

Lost in Flurry of Cherries [Critique]
櫻の森の満開の下「劇評」

■New York
  The performances have a ritualistic physical intensity that suggests a fusion of martial arts and Japanese dance traditions, and a meditation on beauty and cruelty and the indifference of nature dramatized as a quasi-erotic fable. Kisetsu Mano, as the woman whose mane of purple hair clashes with her layers of finery, projects a fierce demonic edge.
 (Stephen Holdern, The New York Times 25 March, 1990)

  Director Hirowatari, who has been working against two modern Japanese theatrical styles: socialist realism and stanislavskian naturalism, pulls out the stops on ancient Japanese aesthetism. At every step, he contradicts the gruesomeness of the tale with the exaggerated elegance of his staging.
(Alisa Solomon, The Village Voice 27 March, 1990)

■Seoul
 The cherry blossoms which kept falling like snow, having overthrown the concept of the staging effect, led the whole audience to the space of mysterious experience.
(Kim Pan-oku, The East Asia News 17 October, 1991)

■ニュ-ヨ-ク公演 1990年3月11日~31日
祭儀的な身体の強烈さに日本の舞踊と武芸を混合させ、エロティックな寓話の形をとって、自然の美と残酷さと冷淡さへの瞑想を描いでいる謎めいたドラマ。真野季節は幾重にも重ねた美しい衣装と、紫の髪をたなびかせ、激しく残酷な鬼に変化する女を見事に演じた。
ステファン ホールデン「ニユーヨークタイムズ」1990年3月25日

社会主義リアリズムとスタニスラフスキー的自然主義という日本現代演劇の伝統に反逆しできた演出家広渡は、日本古来の審美主義に終止符を打っている。どの時点でもこの寓話の不気味さを舞台の誇張した優雅さで対比させる。
アリサ・ソレモン「ザ・ビレッジ ヴォイス」1990年3月27日

■ソウル公演 1991年10月4日~9日
終始一貫、雪のように降リ続ける桜の花びらは、舞台効果の概念を破り、劇場全体を不思議な体験の空間にみちびいていった。
キムパンオク 金芳玉「東亜日報」1991年10月17日


     ---・-・----・・・----・-・---
 『櫻の森の満開の下』広島公演(東京演劇アンサンブル)

 坂口安吾=作  広渡常敏=脚本・演出  池辺晋一郎=音楽

 日時 2014年4月12日(土)19時開演
           13日(日)14時開演
 会場 広島県民文化センター (中区大手町一丁目)
 料金 2,999円(自由席)